2009/06/04

老人と海


☛海外古典?文学も読んでみたくてパラ見している内に内容に惹き込まれた。
アーネスト・ヘミングウェイ著。
  
 
>「やつを引っかけたのは、ちょうど午ごろだった」と彼はつぶやいた、「だのに、おれはまだやつの正体を拝んでいない」
 魚を引っかける前に、かれは麦藁帽を深くかぶりなおしたが、ずっとそのままでいたので額が痛くなってきた。それに、ひどく喉が渇く。老人は膝をついた。綱を引っ張らぬように気をつけながら、へさきのほうへ這えるだけ這っていき、片手をのばして水瓶を引き寄せた。蓋をとって、水をほんのすこし飲む。飲み終えると、へさきに体をやすめた。かれは、船底に寝かしてあったマストと帆の上に腰をおろし、いまはただ耐えぬくこと以外は考えまいと努めていた。
 ふと、うしろをふり向く。もう陸地は見えない。それがどうしたっていうんだ、かれは心にそうがんが得る。おれはいつもハバナの空の明るみをたよりに帰ってくることができる。日が沈むまで、まだ二時間あるじゃないか、きっとそれまでには、やつも浮かびあがってくるだろう。もしそれまでに浮いてこなければ、月の出と一緒にあがってくる。もし月の出に間にあわなければ、あしたの日の出といっしょには浮きあがる。おれの体はどこもひきつっちゃいない、元気いっぱいだ。引っかかったのはやつのほうだ。それにしても、こんな強引なのははじめてだぞ。やつ、はりすのところまでぱっくりやってしまったにちがいない。ちょとお目にかかりたいもんだな。おれの敵がいったいなにものか、ただそれを知るためにだけでもぜひお目にかかっておきたい。
 星の位置からすると、魚はその晩中、進路をぜんぜん変えなかった。陽か沈んでからはさすがに寒い。老人の汗はかわき、背や腕が、老いた脚が、ひどく冷え込んでくる。かれは、昼のあいだに、餌箱の蔽いの袋をひろげて、日なたに干しておいた。日が落ちると、それを、首に結びつけ、背にたらし、苦心惨憺して肩にかかっている綱の下にあてがった。ちょうど袋が肩あての役割をする、さらにかれは、へさきにもたれかかるようにして坐ってみた。けっこう居ごこちがいい。実際は、前よりいくぶん楽になった程度にすぎないのだが、当人はそれでもずいぶん楽になったつもりでいた。
 おれにも手がないし、やつにも手がないというわけだ。やつがこの調子で押しまくるかぎり、どうにもしかたあるまい。かれはそう思う。

0 件のコメント:

コメントを投稿