2010/11/23

脳をやる気にさせるたった1つの習慣


☚2010年6月24日 第1刷発行
 2010年10月5日 第2刷発行

スイス人銀行家の教え


☚2004年6月1日 第一刷
 2004年6月10日 第二刷発行 本田健

本当の話だと思って読んでいました。

2010/10/26

A Gift to My Children


☚August/21/2009 Jim Rogers
~A Father's Lesson for Life and Investing~

ロジャーズ氏は、娘がかわいくてかわいくて仕方ないらしい。
エピローグの最後の方が面白い。

2010/09/25

夏目家の福猫


☚平成二十年七月一日発行
著者;半藤末利子

漱石の長女が産んだ四女の方が描く夏目家や漱石。

道草


☚昭和二十六年十一月二十八日 発行
平成二十一年四月三十日 百刷

著者;夏目漱石

重そうな話のようだったので、半年くらい部屋の中で積んどくされていました。

解説、とても興味深い。

負の自分を公に表すことは、かなり重要であると思います。

2010/09/21

学問のすすめ


☚著者;福澤諭吉 著者;齋藤孝

わたしにない要素がずらりと書きならべてあり、息がつまる。
面白い。

2010/09/19

私の個人主義


☚夏目漱石

大変な本です。
夏目漱石氏のイメージが全く変わった。

夏目漱石は、わたしの師です。
心の中での位置づけとしては、近所に住んでる親しいおじさんです。
夏目漱石は、わたしの親しいおじさんです。

2010/06/06

茂木健一郎✸文明の星時間


―ターナー賞の叡智― (一部)

 人生において大切なことは、ある程度の年月、経験を積まないとなかなかわからないことが多い。
「正統」と「革新」の関係もそうであった。子どもの頃は、偉い人は最初から偉いものだと思っていた。極端なことを言えば、生まれた時から「正統」という「銀のスプーン」をくわえているくらいに考えていた。
 そうではないと教えてくれたのは、偉人たちの苦闘の歴史である。例えば、近代日本文学の基礎を築いた夏目漱石。若き日の不安と苦悩。自分が「正統」であるかどころか、果たして生きていけるかさえわからない。そんな暗闇の中から、後世に残る傑作は生み出されたと知った。
 今日から見れば歴史の中で確率され、偉大で価値あるものに思われても、最初からそうだったわけではない。同時代的に見れば大いに危うい。たくさんの反対を受けて、攻撃される。その中で、表現者は懸命に生きる。
 やがて、歴史の審判が下る。幸運な場合には、作者が生きているうちに。あるいは、その死後に。一群の作品が、価値あるものとして賞賛され、崇められる。やがて、それらは不動の「殿堂入り」を遂げる。揺れ動いた不安な日々から、「正統」な傑作群がその姿を顕す。
 評価の定まった作品ばかりを見ていると、それらを生み出した生の偶有性を忘れてしまう。とりわけ、日本のように「権威」や「伝統」といったものに対して弱い国では、「正統」を標榜することが、生命原理から離れることにつながりやすい。
 今日、現在進行形で新しい文化が生み出されているとすれば、それは社会的に権威や価値が定まったものではなく、むしろ毀誉褒貶(きよほうへん)の激しい中から生み出される。そのようなダイナミックな認識を、日本人はもっと持った方がよい。
(以下略。)

 わたしは、自分のルーツをはっきりとは知らない。
かろうじて両親がどこで生まれ、祖父母はどのような仕事をしていたのかはぼんやりと知っている。
でも、それより前の先祖がどこで生まれ、どのような性質で、どんな世界観で人生を生き抜いていて、私や妹につながったのかは知らない。
以前より薄々頭のどこかしらに感じていたこと、それは、関東で生きてきた・生きている人たちと、九州で育った私(あくまでも私個人との比較に限る。)との、”血”もしくは、”血族”に関する考え方・意識の持ちよう・認識の違い を、最近より感じたことがあった。

 私は、今まで”血・ルーツ”を気にしたことなんて、無かった。
一切無かった。
個人対個人であり、その人自身、その人・人間としての価値が”生まれ・血”によって変化するはずがない。
そう信じていた。というか、その考えが当たり前だと思っていた。今だって私はそう思っている。
しかし、案外、他の人の実際はすこし違うのかもしれないと感じたのである。

 はっきり言って、私はこれにショックを受けた。
誰かと私が会ったとき、その誰かは意識ぜずとも知らないうちに、私の”血・ルーツ”を見ている事が在りうる、そういう視線が入り込んでしまっていることも在る、その事実を知った。
そのような視点・視線が残っていることに対してくやしさを感じた。
 人がどこで生まれ、育ち、祖先は誰誰だったとか、一体その人自身と正面から向き合う上でどれだけの判断材料になるというのだろう?つまり私は、先天的なもので、後から身に付けて形成していった素晴らしいものが汚(けが)されるはずが無い、と言いたいのだ。もちろん、相手も汚そうなんて思ってもないことは知っている。
 その人自身の考えは先天的要素からくるはずは無く、すべてその人が後天的に習得してきたその人自身の成果なんだ。
 しかし、住む場所からくる”自分たちが主流だ”という意識を、東京に来て約8年の間に感じることもあった。そしてその考えは日本の中にだけ存在する話ではなく、世界、国の間、地域の間でも存在していたものだったんだと感じた。それがひいては人種差別とかの根底なんだと感じる。
 その人自身の価値・魂は、住んでる場所に影響されない。そして、その人自身の価値は、”血”や”生まれ”から来るんじゃない。だから、住む場所、生まれで自分や相手の価値を確かめるなんてことは、私はしない。

 例えば、私個人のある決定に対して、人は様々な事を言う事もあるだろう。
しかし、最後は、その人の総力を挙げて、つまり私自身の人間としての総決算で、その決定は下すべきものだと思っている。
そして、私は、人はその様にして、自分の事を決めているのだと、当たり前のように思っていた。
しかし、そうでは無かったようなのだ。そうで無くしている(個人の決定に対して大きく影響を及ぼしている)原因の大きな部分が、”血族”の意見に在る、という事実が大きなショックだった。

 両親に育てられ、一緒に暮らし、守られ、親戚との付き合いもあるなかで私も妹も育った。
しかし、大人にるにつれ、私の自分を形成していく上で核になる考えは両親のものとも少しずつ決別だってしていく。
それは私の愛情が薄いから、とか、遠く離れて疎遠になったから、では無い。
私は、両親を心から尊敬している。生き方、価値観も両親は両親自身のそれでいいのだと確信している。(当たり前だ。)
それと私の考え方が違った時は、それはそれでいいのだと、それが当たり前の関係だと思っていると言うだけの事である。双方が歩み寄らねばならない時は話しあって、互いに理解し、時には譲り合う。
それは本来の姿だと信じて疑わない。
わたしの家族はとてもみんな互いに愛が深い。
それはうちの家族の一番の自慢で、私の大きな自信です。
そういう家族間、互いの考えをそれで良い、と認め合っているその関係にとても感謝している。
そんな父、母、妹を、私は尊敬している。
 
 ”血”や”生まれ”に誇りを持つことはいいことだ。それは自分を誇りに思う事は必要だと思うから、それによって自分を誇りに思える一つの要素になるんだったら、どんな理由であってもいいかと、ここまで色々考えて認められるに至った。
 でも私は、生まれに頼った人生に安住する気は無い。
ここに生まれたと安心して、取り残されるのは最悪だ。
今になって、ようやくそう感じる。
過去の環境は今の私を創った。
私は自分の今の環境にとても感謝している。
だけど、私は毎日変わることにする。成長する。一日だって昨日と同じ自分だったと、今日を振り返る時に思いたくない。
私は、成長します。
それは、今の自分に満足していては輝きを失ってしまうだけだと確信したからです。
私は自分を大切にする。
だから、同じ自分ではいない。
常に成長する自分を選ぶ。

2010/05/08

こころ


☚昭和二十七年二月二十九日 発行
著者;夏目漱石

まずはじめに、長いこと更新せず、すみませんでした。
本はずっと読んでいました。
この期間に新しく読んだ本は10冊です。
ある種の本の読み方が変わったので、
つまり、内容さえなんとなくつかめれば、文章を一文一文読まなくてもいいかという読み方をしたものもあり、
そういう読み方で更新するのが少し億劫だったのです。

でも、一冊一冊には感想も不図思ったこともあるので、
気になったら紹介したり、
自分の頭の整理の為に感想文にすることにします。


そして、『こころ』。
うーむ。
私には少なくとも、この本は今で無いと理解できない本だったと思います。
これを、国語のテストとか問題に出して、解答できる若者学生がいるとは到底思えない。
まぁ、テストでは丸がもらえる解答の形式みたいなので答えればいいのだろうが・・・。

『こころ』は夏の匂いをいっぱい感じる。
若さを感じた。
(私は、物語の季節設定が夏だと、読むのが早い。
本や映画を読んだり見たりすると、その世界が自分の中に残って気分が支配されてしまうから、できるだけ爽やかな内容の方が好きなのです。)

 自分に愛想を尽かして動けなくなったのです。(先生と遺書 五十二最後)
これはすごく怖いことです。
先生は自分が許せない。
(このような性質の人間にとって、自分ひとりで自分を許し、好きになれることは在り得ない。)

 先生と妻の関係は、先生にとっては、互いにこの世に一人の男女だったにも関わらず、あのような結末になった。
先生は、妻の過去の記憶を汚してまでも、自分を回復するべきだったと思う。
妻は一体、どのようにして一人で分けの分からないまま生きていけるというのだろう?
先生はこの世で愛するたった一人の妻さえ、自分を理解していないのが悲しかったにも関わらず、理解してもらえるように説明することができなかった。
自分を否定するあまり、他人を巻き込むことができなかったのかなと、私は思う。
しかし、それでも妻の立場からしてみると、先生は努力して二人で死んだつもりでも生きていく方法を見つけるべきだった。

にしても、妻も中々のんびりしてる。
Kや先生の心中にまったく気付かなかったとは、女として罪がある。
お嬢さんだったのだから仕方ないのか。
果たしてそのような女性がこの世に存在するのだろうか??


 自己否定の人には、
他人の絶対なる、温かくて天然な明るさで、温かい視線・観察が必要になる。
どんなお前でもOKだ。お前自信になんの問題もない。嫌われる心配・見捨てられる心配など必要ない。
それは夫婦関係の基本でもあるのではないか。
何があっても、一緒に食って、生きていく。
例え男女の最小単位を結んでいなくても、兄弟姉妹だとか、同等の無二の親友がいれば、男でも女でも関係ない。
あなたが生きているだけで、自分は安心できるのだというのが欲しいのはみんなそうじゃないか。
それが無いと、自分の生きている意味・必要性を感じれなくなる。

 私はまだ人生の途中であり、分からない事だらけです。
結婚したから、子どもができたからと言って、何かが決定されるわけではなかろう。
つまり、「真実の愛は決して順調に運ばない。」
私は、この言葉を信じる。
結果として、人生を共にできた二人だったということかなぁと。
しかしながら、そう誰とでも人生を共にできるなんて思わないから、やはり気の合う二人だったのだと言えよう。
ちなみに、先生と妻は、どのくらい、どんなセックスをしたのか。
子どもができない理由が天罰だから、セックスという気分にはなれないのだろうと想像する。
セックスは、やはりコミュニケーションなのだろう。
セックスが技術的に上手だと、セックスでのコミュニケーションは下手より上手くいきやすいのだろうという予測は否定しない。
しかし、そこにも相性があることは、セックスもコミュニケーションであると考えると当たり前の事だ。
 アンジェリーナ・ジョリーはブラッド・ピットと仲良しだった頃の記事に「ooと付き合っていた頃は毎日セックス漬けだった。彼(ブラッド)には安定を求めている。(もしくは、感じている。)」という様な事も述べていた。
その時のアンジーは強がりながらも、ブラッドに甘えていた。
アンジー達にはアンジー達の色々複雑な経緯があり、ブラッドとも別れたし、一概にセックスを軸としてどうこう言える例では無いのですが。
 
 甘えるって、我(ガ)を見せることだと思う。
それは、好きなのに(相手を気遣う故に)つい、自分の方で我慢してしまうけど、
相手とリラックスして共有できる関係になる為に、思い切って
我を我慢せず、発揮することは大切なことだと思う。

 そんな方向性を見出せたら、先生も死ぬこともなかったろうと思った。



という感想でした(^^)。
読んでくださって、ありがとうございました。

2010/03/07

オノ・ヨーコ 今あなたに知ってもらいたいこと


☚二〇〇九年十二月八日 第一刷発行
 二〇一〇年一月十五日 第二刷発行
オノ・ヨーコ



”でも、私は決して強い人間ではありません。自分では弱い人間だと思っています。弱い人間には弱い人間の生き方があるのです。”
これを読んでわたし自身、何かから許されると思いました。
弱い自分を自分で許そうと思いました。

わたしはオノ・ヨーコさんを強靭な女性だと勝手に思い込んでいました。
でも、自分にとても正直な女性と感じました。
わたしもそういう風に生きたいと思いました。
オノ・ヨーコさんは今を生きる人。
わたしも!
今日は本を読んで、気持ちが新たに沸き立ちました!
明日からまた
新しい自分に向かって
新しい発見を
新しい自分を発見する!!
がんばる!

2010/02/27

虞美人草


☚昭和二十六年十月二十五日発行
Author;夏目漱石






感想は明日にでも。
漱石に飲み込まれたらわたしまで暴発しかねない。
そのくらい、影響力が強い。今日はもうゆっくりします。


カバーの背に書いてある本書の紹介の仕方じゃ魅力が伝わらないし、そそられない。気がしました。

2010/02/14

幸せはすべて脳の中にある


☚2010年2月28日第1刷発行
Author:酒井雄哉、茂木さん













わたしは、この本が好きだ。
酒井雄哉さんを前に
茂木さんの力がどんどん抜けて、自分の質問をなさったように感じる。
茂木さんは、相手の話を引き出すのが仕事で、いつも対談相手と会場のことを考えていなくてはならないけど、ここ(お二人が対話なさった場所)では、すごく茂木さんは軽く(解放的に)喋っていらっしゃったのではないかなぁ。

茂木さんも100も承知のことでも
信頼する人からのその一言、その言葉、事実(もしくは、そう思っていて間違いないこと)を言って欲しいことがあるんだ。
それを、聞きたかったんだ、
そして、それを酒井さんにおっしゃって頂いて
茂木さんは新に安心して、それでいいのだ、とお思いになられたのではないかなぁと
私はそう感じました。

この本は、わたしにとっても最も違いの際立つ一冊になる気がします。
酒井雄哉さんとの対話は
茂木さんにとって、大変な宝物になる気が
わたしはします。

この本の題名がまさに、その答えになっているのですが、
二人の対話を読むと具体的によく分かってきます。
後半になる程、面白く感じます。


「必然」など、存在しない。
わたしもそう思う。
「べき」を、私(自分)・あなた・第3者に強いてしまうことが
煩わしい悩みになる。
自分にとってのベスト(※ここでは愛する相手のベストが自分のベストだとすることも含む)を選ぶことだけが、必要だと思う。
(※ただ、「べき」っていうのは、対象に対して真摯な熱い想いがあるから発生する感情かなぁと思う。そうであるならば、それは全く素晴らしいことなので、どんどん意見を戦わせないといけない。そんな時は誰も自分の幸せや安定を求めているんじゃないもんね。広く大きな世界に対しての発信、貢献、奉仕だもんね。それと、自分の精神的な癒しは個人でバランスを考えておくことが必要だね。)

どうやってそれを振り分けたり、決定するのかは
それは自分の心に聞くだけだ。

その選択が一時的に(人それぞれかかる時間、気付くタイミングは違うと思うが。)後悔されて、腹が立っても、すべては自分の力に結びつくことが私には分かってる。
ひとつ、そういう経験をしたから、とても強くなれたと思っています。
(人間としてまだまだだけど。)

そうして、やった=行動した結果、自分の力に帰結していることを知った時、それは「必然」だったと、すべての事象に感謝するんだと思う。

わたしは、すべてに感謝しているよ!(^^)!
だれにも怒って無い。
わたしをリストラした人にも、とても感謝してる。

わたしは、リストラが無かったら腐って死んでたと思うもん!

2010/02/11

『変身』について感想追加。

『変身』について少し感想を追加します。

グレーゴル本来の意識から、すっかり今の自分の姿=馬糞虫(“まぐそむし”と家政婦に呼ばれる)中心になったあたりから、グレーゴル視点の物語りから、第3者視点(つまりカフカ視点ということになるのかな。)の物語りになる。
それが一層、グレーゴルがグレーゴルではなくなってしまったという事実を読者に認めさせる。


物語の始めには“彼は鎧のように堅い背を下にして、”とあり、カブトムシやムカデなどを想像していましたが、後半をよむとなんだかナマコのようなムカデのような軟体を想像していました。
とにかく、おぞましいことには変わりない。
そのおぞましさに似合うべく、彼の思考・行動は自己中心的になった。
動作の描写も気持ち悪くて(文章はあっさり写実的に書かれているので容易に想像できてしまった。)、本を読み終えた日の夜、鶏の胸肉を料理しようと思って肉を手に取った瞬間、馬糞虫のグレーゴルを触ったような気がして嫌になった。

みなさんに鶏胸肉に対するヘンなイメージを印象付けてしまったらごめんなさい。
鶏肉はおいしいね!(フォローになってるかな。)
うーん。

ということで、
自分がなりたい人間になる為に、
外枠から近づけて行くこともかなり効果的なのだね!(^^)!

2010/02/06

変身


☚昭和二十七年七月二十八日発行
平成二十年六月十日百三刷

Author;Franz Kafka
(1883-1924)







変身したことにより、だんだんと変身した生物に自分が飲みこまれてゆく…。
母親の訪れで、自分の意識が生物にのっとられつつあることを、知る。
そのグレーゴルの様子が穏やかで冷静であるからこそ、なお恐ろしく感じる。

これも"下水設備の無いところにテロリストが生まれる"という養老氏のおっしゃることにも繋がっている様な。
環境、外枠にも大きな影響を受けているんだね…
避けられない。
避けられない。
自分に与えられたもの。
どうにもできない。
グレーゴルの場合は自分の身体なんだ。

りんごもめり込むおぞましい肉体。

2010/02/04

45分でわかる! 脳を鍛える読書のしかた


☚2009年11月29日 第1刷発行

茂木さん著。
















これはね、茂木さんも担当するラジオ、AM1242
オールナイトニッポンサンデーに応募して
なんとその5名様に入選(?)し頂いた本です!(♯^^♯)!
ヤフぅ~♫✷❤⋆✿!!
ありがとう、ありがとう、
みなさん、ありがとう❣

嬉しかったから、
送られてきた封筒をしおりに作り替えたの♫✷
一緒に送られてきた文章もとっておくと思い出になるねって
そう言ってくれたから、それも一緒に保管します(♯^^♯)。
表裏。





本書は2009年7月12日に開催されたブックフェアのセミナーでの講演を元にまとめられた本だそうです。
だからか、語りかけが優しいし、すごく茂木さん周辺の様子を近く感じる1冊だなぁと思いました。
ブログに近い感じの印象です。

茂木さんが活字について語っておられます。
自分の書き綴ったものが‟活字になる‟ことについての考察。
自分から離れて、改めて自分、もしくは自分が書いたものを客観視できる媒体となる。


文庫も出版社によって字の書体が違う。
それによって無意識に語りかけられる印象も、
読み手には確かに違う感性で受け取られているんだろうな!
わたしにはそうです。

とくに私の場合、"す"や"ず"でその書体による印象の違いを感じます。

活字についての思いを聴けた事が大きな収穫でした。

風の歌を聴け


☚2004年9月25日 第一刷発行
2009年8月3日第23刷発行
村上春樹


『ノルウェーの森』よりもずっと好き。

読み返す必要あり。

2010/01/31

ライ麦畑でつかまえて


☚1984年5月20日第1刷発行
2009年6月30日第111刷発行
J.D.サリンジャー

感想は保留。

2010/01/24

現代思想


☚2008 8 vol.36-10
特集…ゲーム理論
-非合理な世界の合理性

孤独であるためのレッスン


☚2001年10月30日 第1刷発行
 2005年6月5日 第12刷発行
諸富祥彦著










この著者の様に
独りでいること、独りである事の大切さを
説いてくれる人がいて良かったと思う。
孤独であることで初めて、
自分の心の奥からの声を聴くことができるし
そんな自分とのスタンスが
様々な人と付きあっていく事の上で
お互いの大切な言葉にならない感情までも含めて
尊重し合える関係を築くことになるのだろうな。

自分の明るい場所も暗い闇の場所も
自分で受け入れて認めてあげることは大切な事だ。

自分を何かにはめ込むことほど愚かな行為は無い。
人と一緒に作業をして生きているから
仕事だから、と言って
なんでもかんでも和を一番に尊重する必要もなかろう。
個々人には、許容されるべきスペースが用意されるべきだと思う。

対人関係のなかで
人を好きになり、
相手をおもんばかって成長する事は大変有意義だし、
ガーっと没頭して熱中するのも素晴らしい。
しかし一方で
常に相手、自分ととも
一定の距離感を持って観察する様な視点も大切だ。

人と人との心の距離、空間的な距離が近すぎると
自由にのびのび生きれない。

人それぞれに距離感は違う。
孤独を強く感じながらも
安易に人と交わることでは孤独感を拭い去れない事は明らかだし、
だからこそ
ひとりひとりが
自分の心の声を尊重して耳を傾けている事が必要なんだ。

そうしてやっと
相手の声も聴くことができるようになるんだと思った。

でもね、
わたしは、
もし、
あなたがわたしを友達だと思ってくれてるのなら
夜中の3時でも電話かけていいんだよ。
自分のありったけの感情をぶつけて構わないんだ。

2010/01/09

「頭がいい」とは、文脈力である。


☚平成二十一年十月二十五日 初版発行
齋藤 孝










わたしもいっちょまえ(一人前)に、人並みに、
頭がいい状態の自分が好きだ。
「なんて賢いんだ!」 と思える状態が好きだ。

私の場合、それは歩いている時や
自転車を運転している時に感じる。
それは、自分が熟知している通りを行く場合に限られるが。

最近のわたしはやけに文脈づいている。
いや、今までの人生に脈略を考え無さ過ぎたとも言える。
しかし、それは自ら考え無かったのでは無く、
考えることができなかった。
わたしは物と物との接点、繋がりの背景を察する能力が劣る。
もっと早くから色んな事を関連付けて考えることができたなら
成長も速かったろう。

冬休み最終日、わたしはすっきりしなかった。
自分に色んな事が足りていない事だけが分かっていた。
本屋に行った。
わたしは五反田のAYUMI BOOKSで本をざっぴんぐしまくった。
しまっくった結果、4冊買った。
そのうちの一冊である。

好きな人達の気持が知りたい。
好きな人達が、今どんな状況にいて、今までにどのような人生の流れがあって、今をどうしたいと思って、ここから先がどう流れて行ったら嬉しいんだ、
そんなことを理解する力がもっとあったら
どれだけ素晴らしいだろう。

相手を知って、できる限りの一番を考えるには
その人の流れを少しでも多く考慮する必要があるように思う。
普通に生きてても色んな事象が起こり、そのタイミングに不可解な事もある。
わたしは全てを理性のうちに、理論的に人生を組み立てることはできない。
今は重要な時期だ。


そうこう考えるにあたり、大変意義深い一冊となった。
話をすこしはぐらかすと、
わたしのようなトンチンカンには、この様に説明とその実践の意味を説いてくれる本は有り難い。
読んでいて、何回もグサグサ胸に突き刺さった。
自分の至らなさを改めて確認できたし、
考慮すべき点をいっぱい指し示してくれたことで、自分がどう思考し、対応していく方法があるのか、具体的に考えられる幅を広げられるハズだと思う。
その場その場で体も頭も臨機応変・柔軟にフル活用です。

"難しくモヤの中"の状態は、判然とせず、全く本人にとって良くない。
それは本書でも書かれています。
面白さは確実に思考の明快さからくるはずだ。

もし、わたしにできることがあったとすれば
それはきっと、まず自分自身が面白く生きることだろう。
そして様々を笑ってかわして、元気で気分良くいることだろう。
それが土台になっていることだろう。
その上で相手の文脈に思いを馳せ、寄り添う事ができたらいいな。


今と、今からの経験は
きっと一生を見渡して、とても大切なセカンスになるだろうということを、わたしは思っている。

(今まで、意味を理解する前に発した言葉はきっと迷惑をかけただろうな。)
(ごめんね。)

さぁて、夜も明けてきました!